平成の中ぐらいまで、日本のお客様と雑談をしていると、よく出てきた話題が、
オーストラリアは流刑の地で、犯罪者がイギリスからこの大陸の開拓のために
労働力として流された
、、、そんな話がよく会話の中に出てきました。
これとは別ですが、今まで35年、どれだけのお客様とお話ができたのでしょう!
海外にいる日本人という環境でしょうね。色々な話をして、
時には様々の人生のお話ができたこと、涙しながらお話をうかがったことも沢山ありました。
今はコロナ禍で、全くできませんが、幸せだったなぁとつくづく感じます。
その詳細はまた後日、ブログで書かせていただきますが、要は、流刑の地オーストラリアには、
今でもあまり良いひとがいないんじゃないかな?っていう、
純粋なイメージから出てきていたことだと思います。
まあ200年前はさておき、現代のオーストラリアは永住したい国にいつも
上位に選ばれるお国がら。
ただオーストラリアは、少し日本と違うかもしれません。
労働に対する対価、物を提供される対価、サービス(笑顔)などに対する対価、
この国は必ず厳しく追求されます。
理不尽に、明らかに悪用する人もいますが。。
例えば水道屋さんに修理依頼すると、自宅などに訪問していただかないと、
物事何も進まないですよね。でも来ていただくだけで
コールアウトフィーという訪問代が、業種、会社にもよりますが、
日本円で五千円ほどチャージされます。
その上に、実際の仕事内容の料金が請求されるわけですから、
滅多やたらにお願いできないですね。
キッチンのパイプが詰まったので、今日修理してもらい、
翌日に洗面台のパイプが詰まったので、
またお願いすれば、新たに訪問代がかかるわけです。
日本でそんな請求をしたら、競走相手にお客さんを取られてしまいますよね?
ここオーストラリアは考え方が違うんですね。
しっかり、ちゃっかりです。
日本はお客様が神様。僕は先祖代々中部地方の田舎町で、家業も商いをしておりましたので
(オーストラリア人生の方が、日本で生活した時間より15年も長くなりましたが)、
この考え方が変わることはないのですが、
オーストラリアはお客様はお客様ではあるが、
これは社会の市場全体を指していて、個人のあなたではない、という考え方。
お店側は、あなたは私たちがいなければ困るでしょ?あなたには他にも選択肢があるでしょ?
他社より品質がよくて、内容もいいので高いけれども、あなたは買うべきだし、
このクオリティーを望まないのなら他にいけばいい。
もちろん本音は、買ってくださいなのですが、、、
例えば、スーパーでレジ打ちの人に、
個人の主観だけで実害も受けていないのに、いや、受けたとしても、文句や暴言を吐けば、
直ちにつまみ出されるか警察を呼ばれてしまいます。
要は払う側と領収する側は対等なんです。やや売る側が強いかも、、
お店がお客様にご遠慮いただく権利を明白に持っているんです。
サービスには対価を払うんです。
観光のお客様がこの風習をご存じなく、
お店などのスタッフの態度が悪いとか、全然無愛想だった、なんて事を、よくお聞きしますが、
野菜を販売するのに重要なのは、野菜の鮮度、価格、安心して食べられる、
といったことなどであって、
レジで笑顔をする理由がないからです。
もちろんみんなが無愛想ではないですよ、お話好きの方もいればいつも
ニコニコの方もいます。
無愛想がダメではないんです。
対価は野菜に対してですから。
この文化は30年前より、日本寄りになってきたとも感じるのですが、
根本的にどんな立場でもフェアかどうか、が一番の社会通念上の判断基準。
オーストラリア人は、みなさん、お隣の小学生でも僕のことをHIDEって呼びますが、
日本人社会だけは僕はおじさんなのでヒデさんって呼ばれることがほとんどですね。
先ほども言いましたが、こうった風習を悪用する人もいますけど、、
お互いに尊敬するという前提があるからだと、思います。
だから人が揉める場合、お互い敬意を払っているかどうかが、喧嘩の十分な理由になります。
お互いにフランクなんですが、人間愛が最低条件かもしれません。
対価はどんな場合でもきちんと成立するんです。
日本では、多くのサービスが無償なのが普通かもしれません。
多くのオーストラリア人が日本に旅行してくると、
日本のおもてなしの精神を、自分たちのビジネスに取り入れようとされるんですが、
なかなか上手くいかないのも、ここオーストラリアなのかもしれませんね。
わかりやすいところでは 、日系の自動車販売会社をたずねていただいても、
日本人の我々としては、
スタッフの対応は残念を通り越してますが、やはりオーストラリアはそこは
問題にならないので、
この国、20年以上販売シェアは日本車が上位を常にキープ。
対価は自動車に払うからです。
2年前、日本車メーカーのショールームに出かけたら、誰も相手にしてくれないので、
こちらから声がけしたら、
どれが欲しいの?って聞かれたので、まだ決めてないけど、例えばこの車、
今の車を下取りに出したら追い金、いくらぐらいになるのかなぁって聞いたら、
返事は、えっ、ネットで調べてないの?
じゃ見せてやるからって彼のデスクに案内されて、もちろん彼は椅子に座り、
僕は立たされたまま、
その上、見せられたのは、、、、
車の人気サイトで個人の売り買いを仲介するサイト。
促されるままスクリーンを見ましたが、もちろん現実的な金額が出るわけもなく。
で?と聞き直すと、いくらなら買うんだ?
今買ってくれるのか?
欲しいのであれば、先にサインしろ、、、
今、車、置いていけないのなら、先に頭金を払え、
でもいくらかわからないと、決められないじゃないって、当たり前のことを言い返すと、
欲しいのか、欲しくないのか?
買えるのか、買えないのか?
日本の皆さんにはまったく理解できない話かもしれませんが、
これ日本の最高級ブランドのもちろん新車のショールームの話です。
対価は車に払うから、、です。
要は、品が良ければ、オーストラリアの人はそれで良いのです。
より良い商品だから、ほっといても売れるんですね。
この対価に対する根本的な考え方は、ここで生活していく上で日本人が必ずぶつかる、
大きな壁になる、
この風習を理解しておけば、とっても楽。
簡単に日本との違いのまとめ
対価はきっちり、しっかりと。
サービスは有償。
お客様は神様にあらず。売り手も買い手も同じ。
(その程度は都会、田舎など、州などの地域差があるとは思います。)
そんなお話でした。
次回は 対価に関して”過ちの対価” をブログしたいと思います。
