一攫千金を夢見る人たちが世界中からこのオーストラリアへ、オパール採掘にやってきました。
古くはイギリスのビクトリア女王の肝いりのイギリス人が1890年にオパール採掘会社を発足させたことで本格的にオパール採掘の歴史の幕があがり、
これを皮切りにその後30年ぐらいの間にオーストラリア大陸の至る所でオパール採掘がスタートしました。
若い国オーストラリア
オーストラリアは現在でまだ建国230年程のとても若い国、その中で1890年より脈々と続いているオパール採掘はオーストラリアの中では大変古い産業の
ひとつです。
オーストラリアのオパールブームをどことなく聞きつけた世界中の人々が新天地オーストラリアを目指し、まだまだ貧しい環境が多かったヨーロッパの人々にとって特に一攫千金の夢を見るには十分な状況があり、特にハンガリー周辺の元々オパール産地だった地の人々がより品質の良いオーストラリア産オパールの採掘に続々と渡豪し、現在でもサウスオーストラリアのライト/ホワイトオパールの採掘現場を支えている人の多くは、オパール採掘を最初から目的に
移民してきた人々に支えられていて、英語の発音もいまだに独特なハンガリー周辺訛りの英語が継承されています。
当時はやはり一攫千金のニュースや情報は門外不出で、今のようにネットで検索すれば色々な情報が入手できるわけでもありませんから、頑なに身内のみにしか情報を提供しないので、採掘している人々は元々その一族であったりなど関係性があり、世界中の人々が平等に情報入手できたわけではありません。
ゴールドラッシュの時代オーストラリアでは、のちの白豪主義政策が3年近く続いたきっかけを作った当時の中国人とオーストラリア人の間に起こった大きな摩擦もあり、オパールの世界では近年に至るまであまり様々な人々を受け入れる環境はありませんでした。

その長い閉鎖的な一攫千金のオパールの世界に一石を投じたのが日本のマーケットの存在だと僕は考えています。
1960年代に宝石の輸入が解禁された日本で時を置かず空前のオパールブームが起こり、商習慣の違う日本の商人と、オーストラリアの採掘側の間で在豪日本人達がどこの市場よりも力強く、購入も信頼をベースに、誠実にかつ大胆に大枚を惜しみなく気前よく、さらに礼儀正しい日本人の商人の存在に、益々オパールの採掘も一大ブームを巻き起こし、さらなる一攫千金の夢を現実のものとしていったのです。

そして80年代に入ると、オーストラリアの観光ブームがオパールの世界にさらなるブームを呼び、僕の知り合いでも政府から生活支援を受けていた鉱夫さんが
ライトニングリッジで大きな鉱脈を当て、砂漠の街で軽飛行機のライセンスを取得するため先生を出張させ、個人授業でセスナ飛行機の免許を取り、
ゴールドコーストの近くの海岸に大きな別荘とそれはそれは大きなクルーザーを所有して、まさに一攫千金の夢は成立したのです。
これを見聞きした多くの成功を夢見た鉱夫さん達が日夜坑道の中で、あと1センチ、あと5ミリ掘り進んだらオパールが出てくるかもしれない、いや、あと2センチ掘ろう、誰しもが寝る間を惜しんでこのオパールの産業を支えてくれているんです。
皆さんも、そんな夢を追ってオパール採掘はいかがですか?
