1986年にオーストラリアにワーキングホリデーで来て、今年2021年、まるっと35年の月日が過ぎましたが、
ここまで色々な方々のおかげでつつがなくオパール屋さんでいられることに感謝しています。
35歳になったら退職する計画、これも今考えればその時はそれほど深く考えていたわけではなかったと思います。
15年間お勤めして、会社のノウハウを会得して独立しようとも全く思ったこともありませんでたし、今でも多分同じですが、
その時の思うがまま、言ってみれば”勘”で生きて来たので、就職面接の時に35歳までとお願いしたのも”勘”に
よるものだと思います。
実際に、ベンティーンの会長に残り2年の時に再度確認させていただくときも安月給でしたし、お給料の多くが
スタッフのいわゆる飲み代、飯代に消えていましたので、結婚をするとき奥さんに、33歳の時点で僕に貯金が全くないことに
度が過ぎるとびっくりされたほどです。
もしベンティン社で培ったノウハウを使ってオパール屋さんを開こうと思っても、相当な資本金がないと開業することなど
夢のまた夢。ですから最初からオパール屋さんっていうのはその時点で考えていませんでしたし、もっといえば次の展開を考えても
いませんでした。
つまり35歳になった時点で全くあても計画もなかったわけです。
でもそこが人生の面白さですね。僕はずっとゴールドコースト勤務で、シドニーの本社に転勤を命ぜられても
転勤などしたくないと思っていると、不思議と新たな事情ができて転勤の話が無くなったりということが数回あり、
シドニーに行くのは月に一度程度、本社で会議をしたり、社員セミナーを受けたりする程度で、
会社が日本の市場に直接乗り込もうと舵を切り始めた時も、僕はあえて蚊帳の外にいるように
自分の”勘”で立ち位置を何気にコントロールしていたんだと思います。
ここでもやはり”勘”なんですね。
社員セミナーで日本から講師を招いて、色々事業の展開をしていく上での心構えとか、昔その時代に日本で流行していた
大声で気合を入れて企業戦士の荒ぶる魂を磨き上げていく、、、みたいな。
苦手なんですそういうの。先生とか呼ばれるその講師の方には今思えば若気の至りなのでしょうが、
何を持って自分が先生と思えるのか、お金をもらって教えるのであれば、
先生ではなくて、言ってみれば販売員で受講する我々がお客様。
そんな風にしか思えなく、有言実行を常に指導されましたが、それを持って僕は無言実行に人生を切り替えていくことになったのです。
すみません、生意気です。会社は成功へのシナリオを描いた上で運営していきたかったのだと思います。
僕は”勘”で生きていますので、押し付けられると反発してしまう嫌な性格なんだと思います。
こういった複合ごとが、いよいよ約束のタイムリミットに近づいた時、ベンティンさんはおおよその仕事を東京を起点に
シフトしていく流れが出来上がりつつありました。
幹部社員の人たちが戦力的にスタッフを使い、僕には肌に合わない環境が自然と出来上がっていきました。
莫大な資本が日本に投入されるにあたり、オーストラリア国内の資本体系の見直しをされ始めた時、会長の頭には僕がいたようでした。
ゴールドコースト支店を売却、現金化して資本を日本に投下。
必然的僕の仕事は無くなりますから、35歳で約束を果たして新たに日本で心機一転スタートさせようと、、。
そんなことを薄々感じたのかオーストラリア人のCEOが僕の気持ちを探りに出張して来ました。
”勘”がこういうんです、、、じゃあ、、。
さて、どんな展開が待っているのか考えてもいなくても向こうからやって来たんです。
その人生最大のチャンス。
つづく

